03 題目:女神が微笑んだ

1997年、秋。
秋になると、2年生達は本学(箱崎)に行くため、
教養部(六本松)の学生は1年生だけになる。
サークルにとっても、秋以降は1年生だけの活動になり、
1年生の中に教養部長という役職が置かれていた。

当時、教養部のテニスコートは体育館前の窓口に並んだ者順で使っていた。
だからテニスサークルがコートを使うこともあるし、個人が使うということもあった。
しかし、その争奪戦は熾烈なものがあった。

当時、九大にあった4大テニスサークル。
『アプリコット』、『フレームショット』、『ラフォーリ』、『グランドスラム』
その存在は大きかった。
他にも連盟入りを待つキャロットとオレンジロード、
まだ他にもいくつかのテニスサークルが存在した。

我々ローランギャロはその乱立するテニスサークルの中に撃って出た命知らずの集団でもあった。
それは、当時のトヨタ、日産、三菱、ホンダといった自動車会社がある中に、
新しい自動車会社を興すそんな例えがされる程だった。

しかし、運気は巡ってきた。
私(鳥羽)は工学部機械系学科S1-IIというクラスの学生だったが、
同じクラスの友達、
伊藤くんが『アプリコット』の教養部長に、
末松くんが『ラフォーリ』の教養部長に、
田中くんが『グランドスラム』の、
そしてクラスは違ったが浪人時代からの仲の良い友達、松尾くんが『フレームショット』の教養部長になったのだ。

皆当時のコート取りにはうんざりしており、
皆の無駄な戦いを無くしたいと思っていたのだ。
そして、サークル間で協力してコート割を作り、順番に使って行こう。
なんとそんな話に、この友人たちは私を誘ってくれたのだ。

女神が微笑んだ。

もちろん、末松くんや田中くんの顔が女神に見えるはずは無い。


もっと男っぽい顔だから。


でも、本当にそんな心境だった。


本当にうれしかった。


かくして、『フレームショット』『ラフォーリ』『グランドスラム』『アプリコット』、そして『ローランギャロ』

この5つのサークルでコート割を行い、
時には合同練習もするそんな体制が出来上がって行った。

5大サークルの一角を成す、そんな夢のような話が舞い込んできた。

ローランギャロは周りのサークルの協力があってこそ存在し得た。

周囲の皆が育ててくれたテニスサークルなのだ。

この感謝の気持ちは、終生忘れないと心に誓った。
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  # by rg20aniv | 2006-10-01 03:00 | ローラン創世記

02 題目:キャベツのようなサークル

1990年、4代目が入った来た新歓コンパで次のような話をした。

キャベツのようなサークルになって欲しい。
キャベツの芯って見たことありますか?
キャベツの芯を探して、葉っぱをどんどんむしっていくと、実は何も残らない。
キャベツには芯があるようだが、芯も無ければ、種すらない。
それとは反対に、キャベツの真ん中には柔らかい新葉があるだけ。

キャベツは、葉っぱ1枚1枚が真ん中を見ながら、しっかり肩を寄せ合ってできている。
いくら葉っぱが多いからと言っても、その1枚1枚が無ければ成り立たない。

1人1人の存在がどれだけ大きいことか。
1人1人がサークルを創っていこうという気持ちがあってこそ、このサークルは成り立つ。

そして新入生の皆さんは、真ん中で柔らかく育って行って欲しい。
私たち先輩はそれを見守っていきたいと思う。
そして、年が経つにつれ、だんだんと外側の葉になり、育って行って欲しい。

そして皆さんがこのサークルを引っ張っていくようになった時には、
一番外側の葉となり、自分達の色を出して欲しい。 

ちなみに、この例え話をするにあたり、
キャベツでなくても白菜でも玉ねぎでも良かったのだが、
白菜のように葉と葉の間がスカスカに空いたものや、
反対に玉ねぎのように身動きできないくらいにギチギチに詰まったものはどうかと思い、

キャベツを選択した。

これはRGのパーソナリティーを現す例えとして話した内容だが、
その気持ちは今も全く変わっていない。
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  # by rg20aniv | 2006-10-01 02:00 | ローラン創世記

01:サークル名は「九州大学テニスサークル・ローランギャロ」

1987年4月某日、
赤坂3丁目の村山くん(初代)・副部長宅。
授業の終了後に集合したメンバーは、フローリング床の上に座り投票を開始した。

この日はサークルの名前を決める日。
各人が考えたサークル名を出し合い、
それぞれがその想いを述べ、
まず3つの案まで絞ることにした。
そしてその3つの中から最終選考を行い、投票で決めるというもの。

最終的に選ばれたのはもちろん"ROLAND GARROS"

提案者は松田くん(初代)

全仏オープンの名前からとったものであるが、
ROLAND GARROSは、
その昔、町の人でも参加していた極めて庶民的な大会であったことが、
皆に受け入れられた最大の理由。

このサークルは、皆が参加し、皆で創っていくもの。
その考えに合致したこと、
そして創設時の構成メンバーの多くがテニス素人であったということも考え、
この名前に共感が得られた。

もう一方で戦略的な意味合いもあった。
同じ4大大会であるにもかかわらず、
ROLAND GARROSは、WIMBLEDONのように有名ではない。
当時はローランギャロスと読まれていた程だ。
周囲にもこの名前を持ったサークルは無いし、
当時のテニスブーム動向から考えて、
将来"ROLAND GARROS"という名前が有名になる可能性も大きい。
全仏オープン"ROLAND GARROS"が有名になれば、
我々のサークルの名前も知れ渡っていくに違いない。


その願いに賭けた。


このようにRGは名前の下にメンバーが集まったのではなく、
最初にチームが形成され、
そのメンバー皆の投票によって名前をつけたサークルである。

しかし、その名付け親・松田くんは、
実はフレームショットのメンバーだったという裏話がある。

とは言え、サークル立上げ当初から関わり、
サークル育成に多大な貢献をしてくれた大切な仲間だった。

この1年後に、彼を含むメンバーを他サークルから正式に頂きに行くことになる。

ちなみに、最終選考に残った他の2つは、
"Melting Point"(提案者:藤くん)と、

"TOVACHANS"(提案者:槙くん)

私(鳥羽)は、
"LABYRINTH(迷宮)"という名前を出したように覚えている。

結果的にこのサークルが迷宮入りしなくて良かったと思っている。

かくして正式名称"九州大学テニスサークル・ローランギャロ"がここに誕生した。
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  # by rg20aniv | 2006-10-01 01:00 | ローラン創世記

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